KitsShino

KitsShino’s blog

日本語英語脳内スイッチ活性化を目指す

ジョークは言葉の壁を越えられる?

タイトルが、陳腐な恋愛映画のパロディみたいになったが、言葉を教えたり、勉強した人なら1度は考えた事があるテーマかな?

 

最近読んで、とても興味深かった記事。

 

 

rosemarybaileybrown.blogspot.ca

この記事で、アメリカ人妻がセルビア人夫が自分のジョークに笑わないのは言葉の壁のせいだとばかり思っていたら、根本的に「何を面白いと感じるかが違っていた!」という衝撃を面白く描いている。このブログのアメリカ人妻、セルビア人夫の様な国際結婚家庭は、巷には非常に多いのだろうと思う。何故なら、ジョークを通訳するのは至難の業!以前、仕事で(英語圏)某政府XYZ首相の通訳をした時、酔っ払って英語でもそんなに面白く無い駄洒落を(恥ずかしくもなく)披露(しやがって)、どうせそのまま訳してもシラけるだろうと咄嗟に判断した私は「今、彼は冗談を言っているので笑ってあげてください」と切り抜けた前科がある。このアメリカ人妻と同じく、実は私自身も自分のユーモアやジョークは面白いと勝手に思い込んでいたが、ある日、どうしても同僚の一人と会話するのが苦痛で、その原因がお互いに、お互いのジョークを理解できない、受け容れられないからだと悟った日から、異文化、異言語、ユーモアの関係性は、私の日々の暮らしとは切っても切り離せないテーマとなっている。

 

基本的にユーモアというのはPuns (駄洒落)、Silly(おチャラケ)、Sarcasm (皮肉)、Wit (機転)が混ざり合ったもの、そしてSex Topic(下ネタ)、Self Deprecating (自虐ネタ)などの変化系がある。これらのさじ加減がそれぞれの持つユーモアのセンスに反映されて、Sarcasmが多ければ多いほど辛口、Sillyが多ければ体当たりギャグ的な笑いになり、Sex Topicが多いとセクハラになりかねないので、ほどほどに(笑)。

 

我が家の共通言語は英語で、息子と私は日本語、夫と息子は英語、文化的には共通文化はカナダだが、夫はカナダとイギリス、私はアメリカと日本、息子はカナダと日本なので微妙にずれていると思いきや、アメリカで活躍するコメディアンの大多数はカナダ人なので夫と私は、ほとんどのところ共有できている。息子は、日本語学校では駄洒落を連発して周囲を笑わせるが、英語だと日本語ほどポンポンとジョークを飛ばせないらしい。しかし、ちょっと辛口で、機転の利いた切り返しは、夫にそっくりな時があるので、ポテンシャルは高いと信じている。いじりキャラといじられキャラの役割分担が、最初からはっきりできていた私と夫は、20年以上もの間、たくさんの笑いを作り出して共有してきた。もしも、ユーモアのセンスに相性というものがあれば、夫婦としての相性は悪くない。

 

 

因みにオススメは、私も夫も辛口スパイスが利いた時事ネタが大好物だが、夫はRick Mercer

http://www.rickmercer.com/ 、私は Jimmy Fallon
http://www.nbc.com/the-tonight-show  (実はルックスも、キャラも、芸風も、声も全てが好み!私のコメディアン・アイドル!)、そして二人ともJames Corden
www.youtube.com
が、気に入っている。そして、私の北米生活は、この番組無しには語れない SNL!(特にWeekend Updates)

 

 

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おだてりゃ木に登るのは豚だけなのか?

現在、息子は春休み中。学期末に貰った通知表で成績も上がり、学習態度に関しては、文句のつけようがない程の高評価!親の私達はもちろん、近所に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんにも沢山褒められて、のんびり好きな事をしながら、春休みを満喫中。ただ、お天気が悪い日は外でサッカーも出来ないので、どうしても、ビデオゲームやタブレットなどのスクリーンタイムがちょっと気になっている。

 

今日は、私が午後から出勤なのでゆっくりしていたら「マミィ、大好きだよ❤️、僕はマミィとダディの子供でラッキーだよ。」なんて甘い言葉にピンと来たので「XBoxやりたいんでしょ?でも、きっと今日は天気が悪くて、お友達ともスクリーンタイムをいっぱいしちゃうから、今はそれ以外の事をしようね。」と言ったら「僕、退屈で、退屈でしょうがない。」とあっさり白状。私は出勤前にあれこれやらなきゃならないし、そこで閃いた一言!「そう言えば、新聞で読んだけど、家のお手伝いする子は、しない子より通知表が良いらしいよ。(本当かよ?)」と呟くと、案の定、ガップリ喰いついて来た息子(笑)。「そうだ、僕はよくお手伝いやったから、通知表が良かったんだ。(いや、それだけじゃないと思うけど)」とテキパキ張り切って掃除機を出して来た。自分の部屋とちょっと凹凸があって、狭い割に面倒臭いバスルームの掃除機がけを鼻歌混じりに時間をかけて丁寧にやってくれたから、褒めて、褒めて褒めまくり、褒めるだけで、家事がサクサク片付くなら、惜しみなく褒める、これ大事!

 

物心ついてからは、ファンタジーよりもドキュメンタリーを好む息子なので、数字のデータやニュースなど信ぴょう性を持つ説得をするととても素直に受け入れる。そういう特徴を掴んでからは、大抵の食わず嫌いや好き嫌いも「サーモンに入ってるDHAという栄養が、脳みそをアップグレードするんだって!」とか「豆腐のタンパク質は筋肉の材料、体を強くするんだって!」なんて言うだけで解消されてしまう、言葉の力は侮れない。だったら、ポジティブな言葉をいっぱいかけてあげたい。

 

余談だが、先週末、スキー旅行へ行ってきた。息子にとっては2度目のスキー。先ず、ブーツをスキーに装着する時点で30分以上かかり、スロープを滑るのは、困難な状況。折角の機会だからと、全然乗り気じゃない息子を説得してスキーのレッスンを受させてみた。スキーを履いて歩けないと涙を浮かべていた息子が、その2時間で、リフトに乗って初心者コースをプルークボーゲン(snow plow)で降りてこられるほどに上達。夫と私は(親子スキーを夢見て)息子の上達を真剣に褒めたが、息子曰く「僕は、スキーが上手にならないよ、だってpassion(情熱)が無いから。」と冷たい返事。

 

何でもかんでも、おだてれば木に登る時期が過ぎ、今までかけてきたポジティブな言葉の力が、息子の成長にどんな影響を与えるのか?又、親の言う事を全部鵜呑みにしない自我の芽生えが、これから来るだろう反抗期と、どうリンクするのか?とても興味深い今日この頃。

 

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性教育は最初が肝心

我が家には、もうじき10歳になる息子がいる。好奇心がとても強く、興味を持った事はグイグイ吸収して、自分の知識にしてしまう・・・が、彼の知識欲は、時として親の意図してない方向に広がる場合もある。息子の場合、2歳を過ぎた頃から、医療への全般的な興味が著しく、黄色いひよこのついたスーツケースに大きく(夫が描いた)赤十字のマークを貼り付けて、おもちゃの医療用具を入れてガラガラ引っ張って歩いた。その後、テレビで観たボーダーセキュリティにハマり、麻薬の種類と流通ルートを覚えて誕生日プレゼントには、医療機関専用薬物検査キットをせがまれた。それから、救急隊員、救急救命医となりたい職業は移り変わっているが、立派な医療ヲタクに育って来ている(笑)。

 

そんな息子が、毎年学校で行われる性教育の授業を受けて来た。カナダの性教育は、日本のそれとは違い、男女一緒にボカシ(birds, bees)なくきちんと男性器、女性器の名称を用いて行われる。もちろん、子供の作り方だけではなく、避妊の事だって教わるし、ちゃんとセックスの基本を教わる絶好の機会だった。クラスを終えた後の息子は、周りの大人を捕まえては、セックスに関する質問をするのが楽しそうだった。ただ、息子の理解だと「男女がチョンチョンってやると子供ができる、でも、避妊すると子供はできない」「セックスの目的は快楽と子供を作る事」と単純明快。最初は「マミィとダディもチョンチョンってやったはずだが、Where?When? How long? How many times?」なんて質問にいちいちユーモアを交えて答えながら、チョンチョンしない子作りの話もしてやろうと、ついでにinvitro(試験管)の説明。案の定、興味津々、目はキラキラ。カナダでは、同性婚も多く、息子のお友達にもママが2人の家庭があったり、シングルマザーで出産したりと子供を授かる方法もそれぞれ違う。友人のレズビアン夫婦は片方の卵子と精子銀行で手に入れた精子を掛け合わせて、もう片方のお腹で育てるという方法で子供を授かった例、どうしても子供を欲しくてゲイの男性から精子を提供してもらって産んだシングルマザーの例など多種多様なので性教育も当然、奥が深い。実は、私もゲイカップルから多額の報酬と引き換えに卵子とお腹を貸して欲しいという話を持ちかけられた事が過去にあるが、断ったというちょっとした自慢話にも、息子は真剣に耳を傾けてくれた。

 

知りたいことを一通り聞いたら、息子のセックスへの興味関心も一気に薄れ、ちょっと拍子抜け(笑)。でも、性教育だって最初が肝心・・・これからも、どんどん好奇心を満たして、大きく育って欲しい。

 

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女子力のダイバーシティ

先日、国際女性デーに因んでSNSや、テレビでも世界中の女性たちが「女性の地位確立、権利向上」など真剣に取り組んでいる姿が見られた。中でも興味深かったのが、選挙期間中から何かと比較されているミシェル・オバマ元大統領夫人とメラニア・トランプ現大統領夫人が、どのように国際女性デーを過ごしたかという記事。ミシェルさんが、ワシントンDCで移民の子供たちが通学する学校に突撃訪問して生徒たちと対話したのに対して、メラニアさんはホワイトハウスで昼食会を催し、平等と自由の大切さについてスピーチをした。

www.washingtonpost.com

www.cnn.com

別に自分のブログで、どっちがどうだと偉そうに言う気はないけれど、この二人ほど「女子力」の使い方が異なると逆に面白くてしょうがない。

 

ミシェルさんが、若い頃は弁護士として仕事をしていたらしいが、もっと興味深いのは学生時代の彼女が社会学とアフリカ系アメリカ人研究をしていたことや自身がアフリカからの奴隷の子孫だと公言して、彼女の活動内容も言動もマイノリティ女性たちのお手本として100点満点に近い存在であると言う立場。影響を受けたり、勇気付けられたりした女性も多いはず。メディアでは、彼女のがっちりした体格や従来の美人とは異なった顔立ちで一部の人種差別主義者から猿呼ばわりされた事だってあるが、彼女の人気が揺るがないのは、目指すはセックスシンボル・・・じゃなくて、もっと別のところだから!多少肩幅があったって、黒人から「黒い」と言われたって、同性に好かれパワフルでユーモラスで逞しいミシェル姐御の株は、そう簡単に下がるものでは無い。

 

そして、美魔女のメラニアさんは恵まれた美貌とスタイルを世界中からの贅沢なファッションや装飾品で飾り、頭の先から足の先まで手入れが行き届いた容姿、大金持ち(後にアメリカ大統領)の夫とハンサムな息子と暮らすペントハウス、一見「女の幸せてんこ盛りライフ」を全て手に入れてる様に見える。その昔、GQ(男性ファッション誌)にヌード写真を載せるほどセクシーな魅力でプレイボーイのトランプさんを魅了しただけではなく、巧みな恋の駆け引きも出来る、ある意味「女のプロ」!彼女のシンデレラストーリーや、美しさに憧れる女子も多い半面、ここまで現実離れした(おまけに夫は世界の嫌われ者街道まっしぐら)彼女のライフスタイルは世界が遠すぎて受け容れられないと言うのが、彼女を支持する同性の少なさにも反映されていると個人的に受け止めている。

 

同じ職務(?)に就きながら、究極に違う女子力を持った2人の女性。女であるという以上にどういう風に女として生きるのか、選択肢が多い分迷いも出てくるだろう。「女はこうあるべき」という古い価値観に囚われず、自分の中の女子力がどの方向に向かっているのか見極め再確認するきっかけとなった国際女性デー。まずは、こだわりを取っ払って、自分らしく生きられたら後に続く世代に選択肢を増やしてあげられたことになるのではないだろうか?

 

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「頑張る」ってどういう事?

 私は、自分自身の事を「自分に甘く、他人に(ちょっと)厳しい」奴だと自覚している。だが、そんな私でも北米人の自分への甘さには、日々、開いた口が塞がらない。例えば、テレビのリアリティーショーなどで、負けてその場を去る人の常套句「I am proud of myself!(私は、自分を誇りに思う)に、いやいや、根性が足りなかっただけでしょうと突っ込みを入れた日本人は私だけじゃないはず。

 

ウチの夫は、優しくて家事も上手にこなして、実家の両親にも細やかな気配りで、家族のことを第一に考える素晴らしいパートナーだが、粘りとか意地とか根性という言葉は辞書にないらしい。己の限界の手前でストップするので、キャパが小さい気がするが、それは彼だけのせいじゃなくて、北米社会全体或いは英語思考の副作用とでも捉えるしかないだろう。一般的に、日本人は「頑張れ」と言われたら「自分の持てる力以上を出し、結果を出すんだ」という意味が込められているとわかるが、何故かこれが英訳されると「Do your best」とか「Work hard」になってしまう。英語にはそれ以上の「頑張り」は、存在しないのか?残念ながら、私には見える「Do your best」の先は、夫の青い目には見えていないし、見えようがない。それでも、夫婦は繋がっていられる。

 

余談だが、台湾系カナダ人で日本語検定1級保持者の友人曰く、北京語の「加油」は、日本語の「頑張れ」と同じ意味らしい。

ジャマイカ料理の食べ歩き

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父親が、熱帯病を研究していた関係で子供時代をジャマイカで過ごした夫は、ジャマイカ料理に目が無い。丁度、職場でジャマイカ人の同僚に、美味しいレストランがあると聞いたので夫を誘ってみたら、案の定誘いに乗って来た。私の実家の両親も珍しい食べ物に目が無いのでブランチ確定。

 

最初のレストラン「Calabash Bistro」は中華街の外れ、ギャスタウンの近くで治安の悪そうなロケーション、店内は快適でワンプレートのブランチも美味しかったが、何だかちょっとお上品⁈

ヤギのカレーもジャークチキンもソルトフィッシュも付け合わせのソースも色んな香辛料でしっかり味が付いていて美味。ブラックビーン入りのライスも日本人好みで大満足!ただ、本場ジャマイカ料理を知る夫にはボリュームとパンチがイマイチで食べた気がしなかった様だ。その次の週は夫の提案で、Main Streetにある「Reef」。2週連続ジャマイカン家族ブランチでも、誰も異議を唱えぬほどジャマイカ料理にハマってる我が家の面々。パティもロティもカレーもボリュームがあって、付け合わせのソースも辛め。チキンの味もしっかりして、ジューシーで柔らかい。今回、フィッシュタコスも頼んでみたが、そちらはパンチがイマイチだった。

量も値段も庶民派の「Reef」の方が夫好みで、ジャマイカ料理に関してビギナーの私は「Calabash」の方が好きと意見が別れたが「ジャマイカ料理が美味しい、また行きたい!」という事で家族全員意見がまとまった。

移民・難民は「They」じゃなくて「Us」なのだ

アメリカでは、トランプ大統領が大統領令を発して不法移民を取り締まっている。不法滞在者だから、強制送還しても問題なかろうという意見と、家族がバラバラに引き離され強制送還された方は命の危険にも晒されかねないのは人道的ではないという意見が激しくぶつかり合って連日ニュースでも討論されている。

 

モザイク社会カナダで、様々な文化や人々との出会いに興味津々な私は、多文化な職場環境も手伝って常にいろいろな国籍の同僚と話したり、ご飯を食べたり、仕事で助け合っている。チームの中には難民としてカナダに来た人や、カナダ留学から移民になった人など、様々なドラマやストーリーを経てここにいる。私たち家族にとって、移民(厳密にいうと、日本生まれの私たちもカナダ在住の移民)や難民はテレビで見る悲しげな顔をした大勢の人たちではなくて、ちゃんと名前や家族を持った私たちの知人、友人なのだから、特定の人種や宗教を排斥するなど、考えられないレベルのridicule(適当な日本語が当てはまらない)なのです。

 

例えば、私の元同僚は、自国のエルサルバドルから命からがら逃げ出して4年半もの間、ロスアンジェルスで不法滞在者として過ごし、カナダへ難民として30年前に入国しました。その時の記憶をFBに掲載してくれたので、日本語に訳してたくさんの人たちに読んでもらいたいと思います。(本人了解済み)この話を読んで、心が温かくなればこの世も捨てたものじゃないと思っています。

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どうもありがとう、カナダ

今日は、私の家族にとって大切な記念日です。1983年8月、私たち一家は内戦中のエルサルバドルを後にして、30年前の今日、ここバンクーバーに到着しました。

ここからが、私たち家族の物語

1983年4月深夜に私の故郷、アカフトラでは政府側の兵士たちが勝手に家に押し入って、銃を私たちの顔へ向けながら、殺してやると言いました。当時6歳と7歳だった妹たちは、両親が床に寝かされ首に銃を突きつけられるという恐怖を目の当たりにしていました。末の妹は、制汗剤のスプレーを自分の目に噴射し、その光景が見えないようにしました。私の兄や姉たちは、何度も強姦した後に、銃で殺すと脅されました。ラッキーなことに、私たちの必死の祈りが通じ他のか、兵士たちは金品を持って行っただけで済みましたが、私たちの心には恐怖と驚愕が永遠に残りました。そんなことがあって、私たちの両親は、全てを投げ打ってでもアメリカへ渡る決心をしたのでした。

1983年8月、私たちは、身分を偽ってメキシコシティまで飛行機で移動して、そこからティワナへ行き密入国業者「コヨーテ」と会いリオグランデ川を渡りました。私たちは、8人家族と人数が多いので2組に分けられました。当時11歳だった私は、6際の妹を背負い、家族全員あの大きな川を泳いで渡り切りました。私たちは、全員無事にサンディエゴまで着き、「コヨーテ」の手配した飛行機でロスアンジェルスへ行ったのですが、持ち物は全て盗まれてしまったためにロスアンジェルスに到着した時には、その時着ていた服しか自分たちのものはないという有様でした。

ロスアンジェルスで、親戚たちと合流し、私たちの4年半に渡る不法滞在者としての生活を経て、両親はカナダへ渡ることを決めました。カナダのバンクーバーへ移民することになり、到着したのが丁度30年前、1987年3月2日でした。カナダ政府は、私たちをダウンタウンのホテルに滞在させてくれて、次の日には洋服や日用品を家族の一人一人に買い与えてくれました。

3年半が過ぎた1990年11月、私たち一家全員が晴れてカナダの市民権を得ました。当時、8人の大家族が一度に同時に市民権を得るというので記録的でもありました。

このような理由で、私はカナダに感謝しても仕切れません。そして、暗いトンネルの先には、光が待っているということを皆さんにも覚えていてほしいのです。